2009年の12月頃だっただろうか?確実な日付を忘れてしまったが。
よく、埼玉の新座市(西東京近く)から~新宿や渋谷へ・・自転車で散策にいっていた。
大まかな目的は、気晴らしと体力づくり。怪我の手術の後遺症で、体調を崩すと数日寝込むこともあったので~ なんとか、回復に持ち漕ぎたいとの苦心の努力で。筋力、とくに脚力に自信があったので~ 遠出を自転車でした。京葉道路をつかって千葉まで行くことも時々あった。で、本題は、渋谷駅を少し離れたところの住宅街付近を通りかかっていたら~
すばらしい歌声がとある室内から聞こえ。 日本のジャニーズ等の一律な歌唱を完全に通り越した存在感の~心にしみてくる若い男子の合唱が耳に入り。関心をもってその建物を探すと。キリスト教会でLiveをやっているようだった。
教会なので無料コンサートだったので~ 二階の会場(教会の礼拝堂)に入り。 立ち見で見ていた!久々に見た手ごたえのある歌謡ショーであった。ひさびさというか、このような重厚感のある歌声は、正直、アメリカにいた頃以来、ほとんど日本ではめぐり合えない存在感と個性の光る歌のパフォーマンスであった。
それほど派手なダンスをするわけでもないが。(基本コーラスという形)表現力とメッセージ性が半端なく。真剣に見入っていた。かなり彼ら(男四名と女子三名だったかな?)(逆かもしれない)男グループと女子グループが交互にパフォーマンスする質素な感じだったが。後遺症の障害を抱えながら治療生活に心身が疲弊していた私は、瞬時に癒される心境でもあった。アメリカを離れ30年を過ぎていたが。アメリカで暮らしていた十代後半の時分がよみがえるような新鮮さも感じた。
ショーが終わり。客人が帰った後。教会堂にいた彼らに五・六分ほど英語で話しかけた。
表現力と歌唱力を褒め称える言葉からはじまり。そして自己紹介で。 私がアメリカ育ちであること。同級生にコリアンとか多くいたので韓国の子達に親近感をもっている話や。日本の若者の心のサポートのために長年日本に滞在して救済活動生活している話などをした。
すぐに送迎の車が教会を出るので。衣装を着替えるしたく前の数分を割いて私の談話合流に笑顔と好奇心の目で対応してくれた。 急いで。彼らが着替えその送迎車にむかう直前に、このたしか朴(パク)さんという女の子が一人。私に急いで駆け寄り。『もう一度、二人きりで写真を撮ってもいいですか?』とリクエストしてくれたので。私も少々びっくりとテレながらこのUPした写真をとった。 わたしは、『この写真、撮ってもひょっとしたらあなたに送ることが出来なかったりするかも。』と懸念を伝えると。『いいえ、あなたがもっていてください!』と、彼女は、ニッコリと答えた。 少し気になったので彼女に、あなたはいま20歳くらいですか?と少し若めにたずねると。照れ笑いしながら~ そんなに若くはありません。と日本語で答えてくれた。
それが、このページの写真の彼女!数分言葉を交わしただけで・・お互い!この合流感の笑顔。 さすがは、【愛の家族。】
ちなみに、話は現在に戻って。来年志木市のほうの市長選に挑んでみようかと私は考察を練っており。今年記者会見を開いてくれた記者の各位にはこのことは文章で伝えていますが。 選挙ポスターに可能ならこの写真もつかおうかと考えております。
このコンチネンタルズは、各国で教会所属の歌唱パフォーマーチームとして。日本やイギリス、オーストラリア、アメリカなどそれぞれの国のコンチネンタルズが、伝道パフォーマンスグループとして存在するのだが。 私も大変感銘をうけ大絶賛したこの韓国のコンチネンタルズ(年度的にしょっちゅうメンバーは交代するらしいが)
コリアン・コンチネンタルズは世界的にもパフォーマンス力の高さの賞賛をうけているコンチネンタルズらしいことがあとあと調べてわかった。
ここから~私の・・【韓国パフォーマンス絶大で最高!】という意識が始まった。
その時期、街中ポスターによる若者への励まし。愛のメッセージ告知の提案を返上して。励ましソングとして~若者に愛を伝えようとは考えていたが。このときに韓国の子達に歌ってもらおうと、決意が固まった。だからその数ヶ月後。日本での訴訟問題で日本のマスコミを沸かせていた韓国のグループKaraに連絡がとりたいと思い。新座市にある韓国教会の韓国人留学生の会員の方に韓国語でのメッセージを書いてもらい。さらに、私自身の英語でもしたため。 メンバーの一人、二コルのお母さん宛にニコルへのメッセージを書いて送った。
内容は、彼女たちのパフォーマンスのすばらしさへの絶賛と私の自己紹介。そして彼女たちのパフォーマンスが多くの日本の若者にも(年齢を問わず)励みとパワーの提供になっていることへの感謝!と、そして、いままで~ 日本の若者のサポート支援の流れの中でも数名のアイドルや芸能人の問題解決やサポートにも携わってきたことを伝え。その流れの中、彼女たちの事務所との訴訟問題にも言及して、もしものときはボクもお力になってあげますからね!と付け加えメッセージレターを締めくくった。そのあと彼女たちのTweetに返信しながら自己のTweetをアピールしたり。ビデオレター的なDVDを渡したりして交流をKaraたちと進めた。
私は、アメリカ生まれで他の日本のファンとはちがう掛け声声援も大声でしていたので。メッセージで、あのときの声は私ですとか言って自分のことを伝えた。
だから~このときの東京ドーム公演で(二枚目の写真)の~ 愛してるよ!声援に・・ギュりちゃん(リーダー)も絶句の照れ笑いリアクションを私の声援にしてくれた。というか (MCトークの終盤の合間にギュリちゃんはワザワザ私が声をかけやすいように・・間合いを置いてくれている様でもある。)(ギュリはMCの順番の一番最後で、私は最初のスンヨンから順に一人ひとりのMCで愛してるよ!コールをしていたが。おしゃべり好きなジヨンでは、声をかける間合いを逃し。彼女は飛ばしていたので~ あとあと動画で見ると自分だけノケもんにされた気分で少々泣きそうな面持ちもうかがえるので。悪いことをしたなと感じていた)(東京ドームの反対の果ての壁際から~超絶自慢の大声を張り上げて愛してるよ~コールをするので。タイミングを計りながら思いっきり意気を吸う時間がいるのと。信じられないくらいな大声なので、MCの邪魔になり拍子はずれにならないようにタイミング見るのにかなり神経と集中力が必要だったので~ジヨンのタイミングはとれなかった)
https://youtu.be/whRbg-sYrd0?t=106 (リンクはYoutubeでのその時の動画)
最後の私のガンバレーの一言に、最後に全員で頭も深々下げてくれた。 そのとき会場でのリアルタイムでは、私はまったく座席が最後部だったので~ 蟻のごとくしか見えなかったが。このLive動画(Sellバージョンとテレビ放映バージョンとそして映画館Liveバージョンの3通りあるのだが)を見て・・こんだけ誠意のあるリアクションをしてくれてたんだと驚愕の感激をした!
https://youtu.be/whRbg-sYrd0?t=128 (リンクはYoutubeでのその時の動画)
とくに、全員が頭を下げた後。抜かしていたジヨンの名前を二度呼び愛してるよ~を言い直した後の表情を見ると・・全面の笑顔で顔をほころばせていて~その光景を見てギュリが笑っている姿も確認でき。よかった!ヤレヤレ~の心境でもある。でも、彼女たちの純粋な心に~大変だった疲れは全部消え去ってはいるが。
当初、どのように恋するフォーチュンクッキーの原案やコンセプト。コンテンツ内容の数々をKaraに提示し。彼女たちに歌ってもらうように~掛け合えるか。そのタイミングと小出しに雰囲気を作る段階のなか。2012年の12月にこの彼女たちのエレクトリックボーイの曲を音足しアレンジした動画を彼女たちにとどけ。日本人はこういうにぎやかな雰囲気と手拍子が好きで。と、日本的ノリとディスコ調がかなりノルのにいいとか手拍子のタイミングの強調を動画で示してみた。
https://youtu.be/8ytkI4V3kaI
(続きは、後日Part2として~ 恋するフォーチュンクッキーリリースされるまでの流れを話します。)
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